積み重ねの先に

    なんでもできる人を羨ましがる。

    自分にはできないことをひょいのやってのけてしまう人に憧れる。

    憧れや羨望は自分には無いものを求める感情だ。人の背中を追う形の憧れだけでなく、物事に取り組んでいるうちに自分の中での理想が形成されることもあるが、単に「ああなりたい」と思うのは簡単で、では抱いた理想に近づけるように行動できる人はどれほどいるだろうか。

 

    前々から思っているが、「ああなりたい」「こういうことがしたい」と口に出すのは、自分の目標を成し遂げるための具体的な術を持っていないことの裏返しであることが多い。

    なぜなら、具体的な策を持っている人であれば行動で示すことができるから。目標に対して自分に要求されていることを把握して適切に行動することで、壁を乗り越えていくものだ。(「ライブや舞台に行きたい」という欲求については、抽選という自分ではどうしようもない要素があるのでその限りではないかもしれない。ライブ、舞台、行きたいなあ。)

 

    目標を叶えるには、策も必要だが、能力ももちろん必須だ。知識や技能は一朝一夕では身につくものではない。日進月歩、継続は力なり、である。

    ここまでは頭で理解しているつもりでも、毎日のように継続できていることは、今の自分には無いなと感じる。不器用で取り柄の無い自分にとっては、泥臭く少しずつでも毎日取り組むことしか力をつける方法はないのに、気分屋な性格なので毎日取り組むモチベーションが無く、すべて中途半端になっていつのまにか興味が薄れてしまうことがあまりにも多い。

 

    毎日継続というのは、本当に難しい。

    自分が何か毎日取り組んでいたことをあげるとするなら大学時代に楽器を吹いていたことだけど、あれだけ毎日楽器を触っていたのに、今振り返ればあまり得られたものは大きくないように思ってしまう。自分に今何が見えているか自省することがなかったんだろう。モチベーションが無い日でも基礎感覚を常につけておくためにルーティンは重要なんだなと今になって思う。

    別にもう手遅れというわけではないけれど、簡単なことでも何か毎日続けるというのは、今やれば必ず何か見えるものがあるのだという予感がある。

 

    きっとみんなそうやって積み重ねてきたから、自分のような何も積み重ねていない人間に軽く羨ましがられたりするのだろう。人の努力や想いに気づけるようになるにはまずは自分自身が積み重ねられる人間にならないといけない。羨ましがるだけではなく敬意を表することのできる人間になれたらいいなと思う。

    あと1ヶ月ほどでまたひとつ歳を重ねることになる。それまでにこれから継続してやることを何か考えておこうかな。