広島旅
私は完全にインドア派。
休日は寝てていいよと言われれば永遠に寝てるタイプ。
だから正直友達と遊ぶのはハードルがある。いや、語弊があるな。友達と遊ぶのは大好きなんだけど、遊びかたがわからない。小学生の時とかどうやって遊んでたっけ。
遊園地とかも行けば楽しむけど、自分からは行こうとはならない。旅行もそう。自分からは行こうとはなかなか言わないけれど、学生時代を共に過ごした親友から「広島きてよ」と言われ、さっきまでの重い腰がウソのように軽く動き、旅程を組んでいた。これが1ヶ月前くらいのこと。
そして3月の3連休初日、私は広島の地を踏んでいた。
初日から楽しみまくった。
汁なし坦々麺が美味しかった。広島に坦々麺のイメージがあんまりなかったけど有名らしい。ビールを飲んだ。
広島市からちょっと東に移動して、酒蔵の集まる西条駅へ。日本酒の試飲をしつつ、色んな酒蔵を巡り、賀茂鶴という酒蔵のお酒を買った。
広島市に戻り、夕食にはまだ早いということで散歩。街の賑わいをくぐっていくと、原爆ドームとご対面。小学生の時に修学旅行で来たけど、ほとんど忘れていた。あの頃より少しは昔のことに想いを馳せることができただろうか。
夕食は牡蠣。焼き牡蠣に蒸し牡蠣に牡蠣の天ぷら。美味しかった。メニューを見てみると、コウネという見慣れないお肉があった。牛の肩バラのことらしい。美味しかった。ビールと日本酒を飲んだ。
親友の家に帰って、宅飲み。西条で購入した日本酒を秒で空けたころに『たけてれ』が始まった。親友にも推しのかわいさに触れてもらった。お土産に持ってきた焼酎が空くころにはみんな泥酔(というか自分がほとんど覚えていない)。泥のように眠った。
若干の二日酔い状態で3連休2日目スタート。
三度寝?四度寝?くらいしてたらいつのまにかお昼。推しのサインが飾ってあるお好み焼き屋さんへ。めちゃくちゃに量が多かった。旅の間、ずっと食べててお腹が空かないところに追い討ちをかけてきた。
二日酔いがまだ残ってたので、ここではお酒なし。
私も親友も1日目の詰め込み様にぐったりしていたので帰宅してお昼寝。結局夕方まで寝てた。落差が激しすぎる。
自分と一緒に来た親友が1人ここで帰阪するので広島駅まで見送って、広島在住の親友と2人で駅中にある居酒屋へ。あなご飯が有名だということを知ったが、昼のお好み焼きがまだ胃にのしかかっているので、穴子の刺身と瀬戸内レモンのレモンサワーを注文。ほんとはレモネードが良かったけど居酒屋にそんなものはなかった。
帰ってFNS歌謡祭をつけ、推しの歌を聴き、また好きを深めた。親友には2夜連続で付き合ってもらって頭が上がらない。
3日目。
ここで親友とは別れ、私は別の人たちの元へ向かった。同じ芸能人が好きということでインターネット上で仲良くさせてもらってる人たちだ。
たまたまタイミングが合ったので、短い時間しか取れないけれど、ウイルスで騒がれてるけれど、せっかくの機会なので遊ぼうと声をかけさせてもらった。関西の方は世の中が落ち着いたら必ず遊びましょうね。
カラオケに入店。とりあえず推しの主演ドラマを見ようとなったけど、普通にドラマぶっ通しで見たら10時間かかる。でもどれを見ても最高なのは知ってるので、適当に2話分チョイス。同じ嗜好を持つ人たちと好きなものを共有するってなんて幸せなんだろう。めっちゃ叫んだ。
ドラマ本編以外にも、配信番組や番宣で出演したバラエティ番組を大きな叫び声と大きな拍手を入れながら楽しんだ。最後に少しだけ推しの歌を歌った。
あっという間に帰阪の時間。また集まろうと固く約束をして、新幹線に乗り込んだ。
冒頭でも触れたが、私は自分から旅行に行こうとはなかなか言わないし、ひとり旅はしたことがない。それは、私の中で旅行という行為で大事にしていることが、何をするかより、「誰と楽しむか」だからなんだろう。
だから、好きな人たちとだけ過ごせたこの3日の旅はとても楽しかった。大事な思い出がまた増えた。好きな人たちと過ごせば、その土地も食べ物もお店も大事な思い出になるということを実感した。
友達はそんなに多くないけど、自分のまわりの人を大切にして、自分にとって大切な場所をこれからもちょっとずつ作っていけたらいいな。
広島を出てすぐ書き始めたが、家に着く直前でここまで書けた。キリが良いのでここまでにしよう。
また明日からがんばろう。ただいま。
フィクション
ウイルス?花粉?のせいか、心がザワザワすることが最近多い。人のせいにしたくないから、他に気持ちをぶつけるところを探しているだけなんだろう。
自分と似た意見や素敵だなと思う言葉が出るのに対し、自分と趣向の異なる考え方や不快になるような物言いが同じくらい溢れる。それが“社会”。全部引っくるめて。
良いか悪いか判断を下さなければならないというのではなく、そういうもの。自分が、あるいは誰かが、どれだけ素敵な言葉を投げかけたとしても、皆が意図した通りには動いてはくれない。自分が、あの人が、無力なせいじゃない。“社会”がそういうものなだけ。
そんな諦めを抱きつつも、どこか抵抗したがっている自分がいる。自分は自分に出来ることを、目の前のことに一生懸命向き合えば良い、それで十分。そう思っているのに。“社会”をどうにかできないかなと考えてしまう。
ウイルス騒動が収束して花粉も穏やかになる頃にはまた気温や人混みに対して心をザワつかせているんだろう。
語彙力がなくてつらい!
昔から布教という行為があまり得意でない。
自分が良いと思ったものを、相手も同じように受け取ってくれるかどうかが自信がなくて怖いんだと思う。相手の思想に変化を与えるのは無理なことだと思っているからかもしれない。
最近は「自分はこう感じた」と昔よりは自信を持って言えるようにはなったけれど、"伝わる人に伝わればいいや"という消極的なスタイルが根本にあって妙にこねくり回した表現を多用するせいか、なかなか人からの共感を得ることはない。誰が見ても納得・共感できるような文章が書けない。要するに話し下手だ。
推しのことを知らない人にも、推しの良いところを自己満足でも押しつけでもない形で伝えられるような言葉はみんな一体どこで手に入れてくるんだろう。みんなすごい。
嫌なことを嫌だと伝えるのに、配慮を込めて言い回しを工夫するのは最近多く見られるけれど、良いと思ったものを他の人にも良いと感じてもらうのにはきっとその何倍もの配慮や工夫が要るように思う。
一朝一夕で身につくシロモノではないのはわかっているが、いつも推しの前では語彙力が足りずもどかしい思いをするばかり。翻弄されまくりだ。
断っておくと、推しの布教をしたいけどできなくて困ってるというわけでは全然ない(推しを隠れた存在にしたいというわけでもない)。良いと思ったことをストレートに伝えるのは難しいなと感じることが最近多く、お昼ごはんを食べながら気持ちの整理のためにと書いてみた。
充実 〜2019年〜
1月
萌音ちゃんのファンクラブ(mone mobile)に入会。
嵐『5×20』@京セラドーム、参戦。
推しの応援用Twitterアカウント(@sora1259mmm)開設。
萌音ちゃんのお誕生日で幸せな気持ちに浸っていたら、同日17:00、嵐の2020年末での活動休止が発表されて、涙が止まらず、2日間引きこもりに。
2月
修論発表を終えた日に『good night letter』の終了のお知らせを聞き、涙を流しながら約1日寝込む。
3月
大学院を修了し、学生卒業。
フォロワーさんからのお誘いで、『L♡DK』アコースティックライブ付舞台挨拶へ参加。萌音ちゃんの姿を初めて自分の目で見て、萌音ちゃんの歌を初めて自分の耳で聴いた。
『good night letter』最終回。めっちゃ泣いた。あの時歌った『ストーリーボード』はまだずっと耳が覚えている。
4月
会社員生活スタート。
仕事を終えて帰ってきてから、推しの過去の出演作品を見返す日々だった。毎日TSUTAYAに通って『ちはやふる』とか『舞妓はレディ』とか『義母と娘のブルース』とかを借りてきて一気見していた。
5月
萌音ちゃん新ファンクラブ『le mone do』発足。仕事終わって即入会。
嵐『5×20』@札幌ドーム
初の札幌ドーム参戦(今まで京セラしか行ったことなかった)。嵐に会うのは最後だと思って臨んだ。涙が止まらなかった。まだ会えるチャンスはあるみたいなので、来年もう一度だけでも会いに行きたい。
6月
特に推しに関する大きなイベントに参加した記憶がない。
仕事も休日もちょっと忙しい時期だった気がする。
7月
萌音ちゃんの2年ぶりのミニアルバム『 i 』発売。アルバム発売のカウントダウンをしたのが懐かしい。
リリイベには行けず、東京に魂を送っていた。
8月
リリイベに行けなかった嫉妬心のみで開催した、関西近郊(広島まで含む)の懇意にしているフォロワーさんたちとのオフ会。推しのイベントで集まるのではなく、自分たちで主催してフォロワーさんたちに会うのは初めてだった。一緒に推しを摂取していっぱい叫んで、いっぱい笑って、いっぱい歌った。
9月
誕生日にフォロワーさんに会って、ふたりで4時間弱喋った。
『スタートアップ・ガールズ』舞台挨拶@大阪。真横50cm以内のところを推しが通って震えた。その後、一緒に観に行ったフォロワーさんたちと『L♡DK』DVD鑑賞会。
10月
推しとは直接関係ないが、舞台やコンサートによく足を運んだ。
11月
『組曲虐殺』大阪公演全4公演鑑賞。たくさん泣いた。推しのマネージャーさんにとても優しくしていただいた。はじめてファンレターなるものを書いた。
11月中旬くらいから、ちょこちょこブログを書くようになった。Twitterでは収まりきらないことを書くのにちょうど合っている。
adieu初のアルバム『adieu 1』発売。
12月
adieu初ライブ『adieu secret show case [unveiling]』。フォロワーさんがたくさん参加していた。残念ながら会えなかった方もいたので、またどこかで集まれたらいいな。
横浜美術館『ルノワールとパリに恋した12人の画家たち』観覧。音声ガイドは最高。
『ARASHI EXHIBITION "JOURNEY" 嵐を旅する展覧会』大阪会場で参加。20年を振り返ってワクワクしたり感動したりした。
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超ザックリだけど、大きなイベントだけ取り出してみた。
他にも、いつ観に行ったか思い出せないけど、映画をいっぱい観に行った。ほとんど推しの作品だったと思う。
別に映画とかドラマがめちゃくちゃ好きな人じゃないけど、推しの姿が見たい声が聴きたいという理由だけで見てたらこんな感じになった。
そのおかげで、今まで知らなかった俳優さんの演技も見れたし、良いなと思えるものにいっぱい出会った。
たくさんのフォロワーさんにも会えた。
ライブのトークタイムで萌歌ちゃんも言ってたけど、自分も今年は本当に色んな新しい人と出会った。
会社に入って環境が変わったのもそうだし、Twitterを通して、同じ芸能人が好きな人たちと出会い、プライベートでもアマチュア音楽家と多く出会い、新しい繋がりがかなり多くなった。
一気に繋がりが増えた分、一人ひとりと密に接する時間は少なくなってしまったけど、焦らずに、じっくりとその人の思想やその人の見ている世界の色を感じとりながら人と接していきたい。
2019年はとにかく楽しかった。充実していたなと感じる瞬間がとても多かった。
漢字一文字で表すなら、「鮮」としたい。
新しい出会いが増え、新たな考え方を知ると、新しく触れるものはもちろんだが、今までよく知っていたはずのものでさえ、まったく違う姿で目に耳に飛び込んでくる。新鮮なものに触れ続けた1年だった。
こう思えるようになったのは、間違いなく様々なエンターテインメント活動を通して幸せを届けてくれる推しのおかげであり、そして、その幸せを共有することの楽しさを教えてくれたフォロワーの方々のおかげだ。
皆々様、ありがとうございます。
人間、新鮮さが無いと心が死んでしまう。
学生の時は、虚無みたいな日々を過ごすことが多く、精神が腐っていくのが自分でもわかる時期があった。逆に、そういう時期があったからこそ、新鮮さで心が満たされた時は余計に幸せを感じられるようになった気がする。結果オーライ。
何に幸せを感じるかは人それぞれだけど、だからこそ、他人が何に幸せを(あるいは不満を)感じるのか知ってみたい。
また、自分もどうやったら自分の幸せを決して自己満足でも押し付けでもない、自然な形で他人に知ってもらえるか考え続けなければいけないと、最近よく思っている。
2020年は、ひとつひとつの言動に目的・意図を持って行動できるようになりたい。
今までは、「他人に配慮のできる人」になるというのが目標だったけど、それに加えて、もう少し自分のことにも目を向けてみようと思う。
面白いこと言えるようになりたいし、感動したことは鮮度100%で伝えられるようになりたい。言葉選びを大切にするのはもちろん、話す時の声の大きさや歩くスピードなど、些細な振る舞いひとつひとつにまで、自分なりの意味を込められるようになりたい。幸いにも、自分の周りにはそういう人が何人かいる。
人からも音楽からも演劇からも、色んなところからたくさん吸収して、自分の中身を豊かにできるように、丁寧に生きていけたらいいな。
今年もあと少しですね。
2019年お世話になった方々、本当にありがとうございました。
2020年もどうぞよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください。
2019.12.31 Tue.
そら
横浜美術館『ルノワールとパリに恋した12人の画家たち』
2019.12.20 Fri.
adieuの記念すべき初ライブ『adieu secret show case [unveiling]』から一夜明けて、向かったのは、横浜美術館。
…のつもりだったが、何せTOKYOは不慣れゆえ、JRとメトロの区別さえついてない。同じホームに複数の線が乗り入れているとか本当に意味がわからない。なんでそんなことするんだ、もっとわかりやすく作ってくれ。
普通に電車が動いてる時でさえ、東京で1人で電車に乗る時は何もわからない不安から動悸と目眩が酷くなって体調を崩す。本当に成人男性のメンタルとは思えない。
それに加え、この日は電車が大幅に遅れていた。乗換案内アプリが提示する時間に、指定された電車に乗ることでしか移動する術を持たない私は、もう何も信じられなくなった。絶望感に苛まれながら電車に乗っていたので、正直あまり記憶が無い。
フォロワーさん達からDMで励ましの言葉をいただくという介護を受けながら(その節は本当にすみません、ありがとうございました)みなとみらい駅に到着し、駅に着いてからも軽く迷子になり、息も絶え絶え辿り着いた横浜美術館。
開催中の展示会のタイトルは、『ルノワールとパリに恋した12人の画家たち』。パリのオランジュリー美術館のコレクション146点の中から69点の作品を展示している、横浜美術館開館30周年を記念して開催された展示会だ。
普段はあまり美術館に通う人間ではなく、オーケストラのコンサートなど、音楽鑑賞に偏った生活をしているが、今回はそんなことを言って足を遠ざけている場合ではない。音声ガイドを萌音ちゃんが務めているのだ。
推しから絵画や画家の解説を受けながら教養を深めることができる、ずっと行きたかった展示会にようやく来れた。耳が溶けるほど最高だというのは前評判を聞いて知っていたので、期待に胸を躍らせながら560円を払って音声ガイド機をレンタルした。
プロローグの自己紹介から最高に耳馴染みの良い優しい声が耳元で囁く。口元が緩み、膝は崩れ落ちそうになり、側から見れば不審者まっしぐらな中、展示スペースへ足を踏み入れた。
1番はじめに展示されていたのは、アンドレ・ドラン作『ポール・ギヨームの肖像』。ポール・ギヨームという人物を、恥ずかしながら私は全く知らなかったのだが、フランスの有名な画商であり、美術コレクターであったそうだ。
今回展示されている作品を描いた13人の画家は、このポール・ギヨームとなんらかの形でつながりを持ち、個人契約を結んだりギヨームに大切にされてきた人たちであることを、展示を鑑賞しながら理解した。
今回の展示会を観覧するにあたって、私は、その作者が当時どんな状況にあって、どんな思想で作品を描き、その思想がどんな形で絵に表れているのか、ということをできる限り理解しようと考えていた。
美術展は、作品単体で展示されることは少ないように思う。ほぼ必ず、作者の紹介、作品の解説文、そして音声ガイドなど、様々な補足説明があり、鑑賞する者の理解を促してくれる。
今回の展示会のそうした補足説明は、先述の、鑑賞する上での私のコンセプトを充分に満たしてくれた。
画家の紹介は、画家が絵と出会うきっかけやギヨームと出会うきっかけ、ほかの画家との出会いがもたらした思想の変化が丁寧に書かれており、時代とともに思想が変化し、作風にも変化が起きているのがよくわかるように、展示の仕方も工夫されていると感じた。
たとえば、ピカソの絵はこれまでテレビや雑誌で見たことくらいはあったが、キュビズムという考え方については今までよく知らず、今回の展示と音声ガイドのおかげで初めてピカソの強烈なデフォルメの絵と自分の距離が少し縮まったように思えた。また、ピカソが1920年代を境に新古典主義に傾倒したときの作品もいくつか展示されており、1人の画家の人生を垣間見ることができた。
音声ガイドでは、萌音ちゃんが「ここに注目してみてください」と見るポイントを示してくれたり、「あちらからピアノの音が聴こえてきます」と誘われた先にはルノワールのあの有名な『ピアノを弾く少女たち』があるという、巧みな誘導も素晴らしかった。
『ピアノを弾く少女たち』の解説を読んで、ドビュッシーがルロイ家の少女たちがピアノに向かう姿から曲の着想を得たという話を知り、音楽も美術も、何も高尚なものじゃなく、人が人のために作って献呈するものだというシンプルなプレゼント感覚で作品が作られていたんだな、ということを感じた。
人のために作られた作品には、鑑賞する者にその当時の作者の気持ちや時代背景を想起させるエネルギーがあり、ひとつの絵で時間も空間も飛び越えていける、ファンタジーのような体験ができた。
音声ガイドに話を戻すと、福間洸太朗さんのピアノも好きだ。選曲も素敵だった。
プーランクのノヴェレッテは大好きな作品の1つで、優しいC-Durの響きが安心感をもたらしてくれる。
ピアノ曲ではないけど、『牝鹿』が聴けたのが意外だった。作品自体は知っていたけど、ローランサンの絵と結びつきがあったとは知らず、先ほどのドビュッシーの話もそうだが、絵画を見にきて音楽の知識まで持って帰れるとは思っていなかったので、すごく贅沢な気分になった。
『牝鹿』、主観ですが、とても可愛い曲なので、興味を持たれた方は聴いてみてください。
(Les bitches FP.36
https://music.apple.com/jp/album/poulenc-stabat-mater-les-biches/599985243 )
絵画を見るときには画家の思想を知るべき、と今回の鑑賞を通して学んだが、それは芸術鑑賞に留まる話ではない。
現代において人と接するときにも、相手の思想を汲み取り、寄り添いあって対話を重ねたり、同じ物事に取り組んでいかねば、という自分の生き方を見直すきっかけにもなった。
自分のペースでゆっくり見て回れるからこそ、考えをあらゆるところに巡らせたりできるのが美術館の良いところだなと思った。同じ展示会でも何回も足を運ぶことで、作品に対する理解を深めたり、自分について考えることもできるだろう。
今回の展示会はスケジュールの都合で再度訪れることが叶わなそうなのが残念だが、良い体験ができて、とても満足だった。
ああ、でも音声ガイドがまた聴きたいなぁ。
はじめまして
興奮冷めやらぬ中、東京の一角にあるホテルの布団から。
初めて萌歌ちゃんを生で見た。
初めてadieuの歌声を生で聴いた。
「こんばんは、adieuです」
一言の挨拶だけで震えた。
歌声はもちろん、一挙手一投足まで感動するポイントが多すぎて、何に感動したのかわからなくなるくらいだった。
adieuは客席にいる一人ひとりの顔を順番に見つめて歌を届けてくれた。決して大きくはないライブハウスに、決して少なくはない人数が集まって、曲の世界観と音楽に浸る幸せと少しの緊張感を共有した。
演奏はアルバムに収録された曲の中から3曲。
少し休憩を挟んでトークタイム。
名前というのは「世界」に入る鍵のようなものだと思っている。
萌歌ちゃんにとっては“adieu”が音楽の世界への鍵、“上白石萌歌”が日常を過ごすための鍵、作品で演じる様々な役名がそれぞれの人の人生を演じるための鍵。そんなイメージだ。
トークタイムで見せる表情は、さっきまでの“adieu”が見せてくれたのとは全く違う、“上白石萌歌”のそれだった。その鍵の使い分けはあまりにも自然だった。きっと本人は使い分けてるつもりなんかないのかもしれない。
自然さ、ナチュラルさ、というのは人を惹きつけ虜にするパワーがあって、それが遺憾無く発揮されていた。砕けた言い方をすると、ギャップ萌えが止まらなかった。
たった1時間弱の、数字にしてみれば短い時間だったけど、1人の色んな顔にさまざまな感情を覚え、尊敬と好きが深まった、濃密な時間を過ごせて本当に良かった。忘れられない日になった。
これからも音楽のある場所でお会いできたらと願ってやまない。
病は気から
昨日、お昼くらいから急に体調を崩した。寒気と腹痛が酷かった。
昨日は、adieuのライブの当選発表の日でもあった。
当選した。100名しか当たらないライブに。
めちゃくちゃ嬉しくて、体調悪いのを忘れてすごい元気になった。
でもしばらくしたらしんどくて、会社を早退することにした。
帰り道に、当選メールが来た時だけすごい元気になった時のことを思い出して、我ながら笑ってしまった。なんて単純なんだ。いやぁ、さすが推しの力はすごいな〜。
自分が単にアホなのか、推しの力が絶大だからなのか、原因について断言はできないけれど、「病は気から」って本当なんだなと思った。
ふと、諺っていつから伝承されているんだろうと気になって、「病は気から」の起源を調べてみた。すると、いくつかのサイトで紹介されていた。
中国最古の医書「黄帝内経素問(こうていだいけいそもん)」【紀元前450〜221年頃】に、百病は気に生ず(全ての病は気から生ずる)と記されており「病気」の語源となったそうです。
そして、飛鳥時代〜平安時代に遣隋使や遣唐使により中国からの医書や漢方薬が伝わり、気の思想も日本に伝わったそうです。
2200年以上前には生まれていた考え方らしい。
2200年前の人が、今の私みたいに推しのライブに当たったから病気が一時的に治った、みたいな経験はしていないと思うが(推しの将軍と一緒に闘えるから体調悪くても頑張ろう!とか思ってたりしたのかな、だとしたら面白いな)、今の私は推しのおかげで生きれている。
フォロワーさんもたくさん行かれるみたいだし、推しと同じくらいフォロワーさんにお会いできるのも楽しみなので、さっさと治して、ライブ楽しもう。
P.S.
胃腸炎でした。だいぶ治ってきました。インフルとかも流行りだしてるみたいなので皆さまお気をつけてください。