わかっていたようでわかってなかった

応援

( 名 ) スル

①  他人の手助けをすること。また、その人。 「友人の-を仰ぐ」 「地元候補を-する」

②  (競技・試合などで)歌を歌ったり声をかけたりして味方のチーム・選手を元気づけること。 「母校のチームを-する」 「 -合戦」


(大辞林 第三版より)


私はこのアカウントを、「好きな芸能人を応援する」ものとして作った。

その時に、“そもそも「応援」とは何か”という根本的な問いが頭をかすめることはなかった。


先日、舞台『組曲虐殺』の大阪公演の千穐楽の日、私は大好きな女優さんと、その方のマネージャーさんにお手紙を書いた。

何の気なしに、「これからも応援しています!」という偽りのない気持ちで締めくくったが、後になって、ああは書いたものの、何をすることが応援することになるんだろうと、ふと思った。


今まで私がしてきたことといえば、Twitterで「推しがかわいい」と叫び散らかしているくらいだ。どれだけ自分のことを贔屓目に見ても、冒頭に抜粋した「応援」の定義には引っかからないだろう。


応援とは思っていたよりも難しい。最近になってよくそう感じる。人の手助けになる、人を元気づけるというのは、どうしたらよいものか。


個人的な話になるが、私はアマチュアで音楽をやっている。1〜2ヶ月に1度ほど、室内楽やオーケストラ、吹奏楽などの演奏会の予定を抱えている。演奏会を聴きに来てくれるのは仲の良い友人数名、ということが多いが、いつも本番後には感想のメッセージをくれる。

演奏がよかった、と言ってもらえるのはもちろん嬉しいが、何より嬉しいのは、「また一緒に演奏したいね」「またあなたの演奏が聴きたい」と言ってもらえることである。

元来、前向きな性格でない私は、こうした未来志向の言葉に何度も励まされてきた。


これが、私が「応援」された記憶のひとつだ。


人に影響を与えたということを感じられるのは、舞台に立つ者の特権であり、原動力になるものだと私は思う。

自分がその作品を受けてどう感じた、あるいはどう考え方が変わったか。自分の人生においてその作品がどういう位置づけになったか。


そういうことを発信していくことが応援になるのかなと、確信は持てないままだが、今はそう思っている。

まだまだ人を元気にするような言葉を操れる人間ではないけれど、何が人を喜ばせるのか、あるいは悲しませたり怒らせるのか、人の心の機微にもっと敏感になって、言葉を紡いでいけるようになりたい。「推しがかわいい」はこれからも叫び続けていきながら。